和全
草間弥生の映画「インフィニティ♾」
更新日:2020年2月10日
こんにちは^^
イラスト書道家の和全です。
草間弥生の映画「インフィニティ♾」を見てきました。

戦って、戦って 潰されて、精神を病んで でも戦って
そんな人生だったのだと感じました。
壮絶でした。 とても、マネできないと思いました。
イーグルジャンプと同じように わたしだったら、 そうそうに、心が折れていたと思いました。
創作活動を邪魔するものは、 自分だと思っていました。
でも、草間弥生を見ていたら、 それは、そうなんだけど、 もっと掘り下げていくと
「日常」なのかなと思いました。
平和とか、平安とかとも言うかもしれない。
平和な日常 同じ日常
これは、ものすごく強い力を持っていて ある意味、考える力を奪われていくのかもしれない 考えなくてもできるから
でも、こう言うものを本能的に求めているんじゃないかなと思います。 危険がいっぱいだった昔々 平和な日々は、どうしても守りたいものだったろうから。 それは、今もそうなんだろうけど
だから、アーティストは動くのかもしれない 旅をするのかもしれない
日常を日常にしないために
意図的に無意識に、そうしてるのかもしれない。
日常をテーマにしたアートはたくさんあるでしょう
だけど、それは、非日常から見ないと アートに見えないはず。
非日常から見たら、日常が非日常なんだから。
感情が動かなかれば、アートを作ろうと 思わないでしょう。
草間弥生の人生の中で 作品を作っている中こそが日常
変わらないものだったのかなと思いました。
新しいところにいくと、全てが新鮮に見えます。 いろんなものがキャッチできるので 感覚が全開に開くのかもしれません。
危険なものがないかとか、 視察しているのかも。
その環境から、普段にもどると、 同じものでも違く見えます。
どこにも行かずして新鮮に見えるのです。
場所だけじゃなくて、 職場を変えるなど、属するグループを変える 付き合う人を変える 恋人ができる、別れる
そんな時にも、いろんなものが違って見えそうです。
きっとそのときが一番、作品が生まれやすいような気がするから。
日常とか、常識とか、世間体とかそう言うもので覆われていた、隠れていた、守られていた 魂が剥き出しになるからです。
草間弥生のように、常に平安のない世界にいる人は 泉のようにアートが湧き上がってくること 納得です。
しかし、それは、精神病と引き換えのことかもしれません。
そこまで自分を追い詰められないのならば 非日常に、自分を置くことを意識することが
大事かもしれません。
草間弥生をみていると、 たとえどんな絵を描いていても 成功したんじゃないかと思います。
彼女自身がアートだから 出てくるものは、ただの結果でしかない なんでも、アートになってしまうのです。
その域に達せられていないのなら その域に近い環境に自分を 置くことですね。
凡人は考えないといけません。
草間弥生の確固たる自分の作品への信念、 執念、自身 それは、どこから来るのだろう と不思議です。
映画、イーグルジャンプの主人公
エディの自信も不思議です。
どこから、湧き上がってくるのだろう。
二人に共通するものは、やはり 自分の大事なものを大事にしていることでしょうか。
何を犠牲にしても、絶対に一番大事にするんですよね。 それ以上の強さが人生にあるんだろうか。
たぶん、公開最終日に行ったんですが 行ってよかったです。
いい映画でした。